ユーズあずみ野
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| 読書のぺーじ |
平成19年12月8日
本立てを整理していたら、平成7年に書いた「本と私」という文章が出てきたので、掲載します。

第一巻 313頁 第二巻 315頁 第三巻 317頁 第四巻 308頁 第五巻 288頁 |
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「孟嘗君」全5巻を読破
平成19年8月11日から平成19年8月12日まで、丸二日間、読み通した。
読後の感想としては、面白かったといえよう。ただ、登場人物が多いのと活躍する場所が中国大陸を東西南北・広範囲に亘り、しかも時代は、戦国時代であったことなどが、しっかり読まないと途中で、読み返さなければならなくなるので、注意深く、読んでいくことが望ましい。
蛇足ではあるが、苗字によって、どこの出身であり、先祖が何をしていていたかなどが、はっきりと書かれていて、今の日本にも通ずることがあった。
この本は、世界的にも有名な「孟嘗君」=「田文」の一生を作家 宮城谷昌光が、書き下ろしたものである。前回の本年正月に読破した宮城谷昌光の「太公望 上・中・下」の重厚で、渾身の力を持って書かかれた書き方とは違い、かなり、読みやすかった。これは、本作品が1993年3月から、「東京新聞等」に、掲載されたものだったから、大衆受けするように、平易に書かれたのだと解釈している。
しかし、これだけの長編の本を書くためには、その当時の思想・登場人物と氏名・時代背景などをある程度、吟味しなければならず、なかなか、凡人には手が届かないところである。
その内容は、「田文」という人が生まれた日が、五月五日の不吉な日であったことから、父親から、「すぐ、殺せ」と母親が命令されたが、母親が殺せず、子供を逃がしたことから、物語は始まるが、養い親の生き方を見聞し、終盤は、生みの親と再会し、「捨てられたからこそ、いろいろな経験がしたこと」を生かして、ついに自分の主義を確立し、人々に感謝されながら、最後は、自分の寿命を全うして、安らかな眠りにつくことができたという、単なるサクセスストーリーではなく、人間の生き様とは、このようにありたいと思える・幸せな物語である。 宮城谷昌光 著
平成19年1月1日から3日まで、 「太公望」を読んだ。
読み応えのある文章が続き、おいそれとは、読み切れなかった。一冊におよそ、六時間かけて、じっくりと読んだ。
この正月の3日間は、新年最初の目標の本の読破を完了した。
内容
太公望は、伝説に彩られた人である。われわれの知っている太公望は、暴政を避けて、遼東に行き、四十年という長い間、隠棲した。それから、周の国に行き、なお、隠棲しながら、全く釣れない釣りをしていた、付近の住民は、その姿を冷笑していたに。太公望は、そのうち、大きな鯉を釣り上げ、魚の腹から、兵法書を得た。まもなく、周の王は、太公望を戦略家として、数々の謀計を採用し、周の国の基礎を確立した。そして、二百歳近くなって、死を予告して死んだ。(列仙伝に書かれている。・・・あとがきに書かれていたものの概略転記)
という本が、一人歩きしてしまって、本当の太公望の実像は、闇の中であった。
私も {妻に太公望って、人を知っている??} と 尋ねたところ、「知っている長い間、釣りをしていた人でしょ」といわれた。わが国でもこの話が、一般的な常識とされていて、作者の「宮城谷昌光」(この本を書いた作者)はこの実像に正面から、向かって、書いたのが、この太公望である。作者は、周の国が、中国全土を席巻するのには、いろいろなことや、いろいろな登場人物がいただろう、と考えて、「太公望」を書いた。しかし、その前に、「王家の風日(処女作)・・・太公望を敵として書いたもの」「甘棠(かんとう)の人・・・太公望を友としてして書いたもの」などの著作があり、その著作の結果として、同じ日本人として、この本を書かれたことは、実にすばらしいできごとだったと感嘆した。ただ、書き方が、読者に判る様に、その時代の背景など前に書いて、それから、本文に入るという、スタイルをとっているので、単純な歴史小説とは、全く、相違している。このことが、誰でも読むことができるとは、言いがたい本である。しかし挑戦すれば、かなり、知らないことを知ることができるという、たのしみな本である。
ちなみに ほんの構成は、
上巻 438頁 少年の名は、「望」という、苦難の末に商王朝を滅ぼした人である。
中巻 445頁 利に争うものは敗れ、恨みに争うものは勝つ。それを超えて勝ちうる者は千載に一人。
下巻 449頁 「望」の機略により商王をを討つ、宿望のときである。決戦の朝、無辺の牧野はすがすがしく晴れていた。
ページ数・・・・1332頁
である。
17年8月13日
絶海にあらず を読んだ。
時代長編
作者 北方 謙三 上下 2巻 中央公論新社 一冊 1800+税
上巻 406頁 下巻 378頁
読感としては、長編ものではあるが、頁数が、多く、一気読みは出来なかった。特に、時代は、藤原時代を想定されており、いつものように体制に対して、その中に歯車のように組み込まれることを嫌い、藤原北家という、ときの一族の中で、自分の一族の体制に棹差すような展開となっている。
そして、藤原純友という、主人公は、夢を追い、心のままに生きた男として、描かれている。
体制に反発して、自分の生き様を模索する人生は、結構、痛快だし、面白いと思うが、いつの時代でも、体制側の庇護がないとこのような人は、生き延びることはできないのではないかと思う。
結局、人間は、自分の夢に対して、どのくらい達成できたかが、自分の人生の充実度といえよう。
とこんなことを感じさせてくれた、本であった。
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17年5月3日
北斗の人 を読んだ。
時代長編
作者 司馬遼太郎 講談社 780円
北斗の人 北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)を編み出した「千葉周作」の生涯を
読んだ。北斗の人とは、千葉家の守護神であり、「北斗七星(北辰)・妙見菩薩」を信仰している人だった。ということであった。
貧しい、馬医者の子に生まれながら、天性の資質は剣を志すや,古来からの難解な教義を持つ、剣法の不合理に反逆し、近代的な技法を考案した。
人生最大の難関は、上州・馬庭念流と戦いだった。特に、伊香保明神に千葉一門の巨大な武道額を奉納されるくだりは、緊迫感が合ってかなり、面白い。
そうそう、以前、坂城に勤務していたころ、坂城神社に千葉周作の奉納額あって、弟子の名前が書いてあったのを思い出した。機会があったら、どうなっているのか、見たいと思っている。
千葉秀作の異例な出世は、素晴らしいことであったが、反面、4人の子供が、早くなくなってしまったのは、この千葉家は無くなってしまっているので残念である。
さてこの中で、司馬遼が、言っていることに大変感銘を受けたので、呼んでみたら如何ですか。
「小仏のきこりの話」
サトリという動物を意識して、殺そうとしてもなかなか、殺すことは出来ない。何の意味もなく、きこりが、斧を振りかざして、まき割をしようとしたとき、突然、キコリの斧が、折れて、サトリという動物のところに飛んでいった。サトリは、全くその気配を感じなかったので、その飛んできた斧に殺されてしまったという話である。
人麻呂の暗号
作者 藤村由加 新潮社 1240円
柿本人麻呂は、当時の為政者を批判して、遠くへ流され、悲嘆のうちに亡なったというが、その、悔しさを「万葉集」に、漢字を巧みに使った人麻呂が、長歌 19首、短歌を69種合計88種を残しており、枕詞は、101もあるという。この枕詞には、本文の意味を深長させる働きがあったという前段である。
この本の読破は容易ではないし、感想文を書くのも容易なことではない。なぜなら、万葉集を古代朝鮮語で読んだというものである。なにしろ、総頁257の中で、柿本人麻呂に直接、触れだしたのが、109ページからである。それまでは、日本は、中国語がそのまま日本の支配のための制度となったとか。
現在でも法律用語には、ほとんど、訓読みはないそうである。という、いろんな例えと研究成果を発表して、こうなんだ。こうなんだ。と枚挙にいとまがない。文中で柳田国男氏によると古来から、神に祀り上げられた人物の多くは、尋常な死に方をした人間ではないという。不幸な死に方をした人の霊は怨念となって、祟ると考えられ、その怨念を恐れるあまり、神として、祀る事で鎮魂が行われたという。藤原氏に排斥され、無実の罪で左遷の地で死んだといわれる菅原道真などはその典型的な例であるという。そうそう、聖徳太子を祀ってある法隆寺も聖徳太子の魂が、そのお寺から、出れないようにしてあるという本、「隠された十字架」梅原猛著も読んだことがある。
その伝でいくと人麻呂の死に方も謎に包まれており、非業なしに方をしたとすれば、何故か、人麻呂は安産の神・水難の神・眼病の神・火難の神となっていることから、人麻呂の怨念が、怯えた人が人々がいただろう。
どちらにしても難解の本であった、いまもって、もう一度しっかりと、漢字・朝鮮語の勉強をしないと読めない本である。疲れた。
平成17年1月13日
柳生一族 を読んだ。
時代長編 著者「山岡荘八」 光風社出版
乱世の中、剣聖・上泉伊勢守を柳生の里に迎えた、宗巌は、剣聖の心技に心酔し、師と仰いで、剣禅一如、無刀取りの秘法を会得して、生涯を賭ける。めまぐるしい、戦国武将の浮沈の中に、天下を掌握した、智将・家康と石舟斎の対決を描く時代小説
読後の感想
12〜3年前に、柳生の里で家族と一泊して来た。これは、京都旅行に行く道すがらであったため、家族を説得できたからである。宿泊した家は、民宿であったが、当時は、この本が書かれているような鄙びた場所であり、本当に軒を借りただけの宿泊だと思っている。つい、先日の旅行は、柳生の里のようなところにとまるのは、絶対にいや!! と家族に言われるくらいの苔むした場所であった。私自身は、柳生の里へ行って、柳生宗巌・柳生宗矩・柳生十兵衛の三代のお墓にお参りが出来てよかったと思っているし、一人、柳生代代のお墓の前に時間の経つのも忘れるほど費やして、いまでもよかったと思っている。この辺は、うっそうと茂った樹木が茂り、なんとなく、神秘的な感じがするところだった。どうしても柳生の里に行きたかったのでここで柳生一族が住んでいたと思って感慨無量だった。
久しぶりに小説柳生一族を読んで、この場所から、徳川家の指南をどうして、するようになったか、出番の時をじいーとして待った宗巌(雅号 石舟斎 石の上に乗っている舟)が剣聖・上泉伊勢守と会えて、しかも無刀取りの秘法を会得したことから、柳生一族が反映したと思う。また、このような昔でも今でも「ご縁」によって、導かれていく様を感じた。この小説のくだりには、柳生宗矩が(8番目の子供)「お父上の剣はいまや海内無双、よってこれを徳川様へご伝授の上、再び大乱のない太平護持の天下の剣にしたいですよね・・・・」とある。戦争を絶対に阻止するという考えが、主流であったと考えている。あとで考えてみると徳川300年も続いた、その徳川基本方針を樹立したところに柳生一族のしっかりとした、信念が花咲いたのではないかと考えた。
終
どうぞよかったら、お読みください。
平成17年1月1日
著者 神川武利 PHP研究所
小説 「児玉源太郎」を読んだ。
児玉源太郎は「日露戦争」における陸軍の頭脳として大活躍をした。
特に有名な戦いは激戦の203高地だった。
領土の拡大を野心をみなぎらせ南下を続けるロシア戦って、勝たなければ日本もいずれ植民地化される事は免れない。日露戦争はそうゆう戦争だった。
絶対に負けられないぎりぎりの状況の中でその陸軍の総指揮をとったのが本書の主人公・児玉源太郎である。自らの使命に無視の精神で臨むとき人間はどんな存在になれるか ??私欲のみを追求する今だからこそ顧みるべき明治人の心を読む。
読後の感想
わたしは、若い頃、「203高地」という映画を見た。その映画のなかの児玉源太郎参謀には感激した。ある日、テレビで、放映されたので、ビデオにとっておいた。ゆっくりと見直すと、その中で「乃木希典(のぎまれすけ)」という陸軍大将と児玉源太郎参謀が刎頚のともであることも知った。その後、児玉源太郎の本を読んで、日露戦争の中で、もうどうしようもなくなったとき、児玉源太郎が「戦争は気力だ」といって戦争をやっているひとを激励したと書いてあり、感動した思い出があり、私としては、現役中にこの言葉を愛して、自分の活動のよりどころとして、勤務して来た。しかし、今回、よくよく読んでみると単にロシアとの戦争に勝ったということだけではなく、戦いの最中で、弾丸、兵士、食料、着る物、あらゆる物資が尽きて、この装備で、勝たなければ、もう、日本負けるというところまで、日本は追い込まれていたのだ。そこで、いった言葉が、この言葉だった。その後、日本は、ロシアのバルチック艦隊を殲滅して勝利を得た。しかし、第二次大戦は、「神風」が吹くといって、最後まで、戦った。今考えると簡単にいうとこの両方の戦いは、先進国の国々の圧力があり、戦争を続ける戦費がなかったことなど、大変、似ていていると思った。両方とも半年くらいしか戦えないぐらいの金しかなかった。もし、第二次大戦の時に児玉源太郎が腕を振るったとしたら、、、何て考えることはやめよう。いまは、まあまあ、いい時代だから・・・・
一読されることをお奨めします。
なお、203高地を占領したときの戦死者と平成15年の交通事故の死亡者(警視庁)を比較します。
戦死者 5000名 死傷者 17000名
死亡者 7702名 死傷者 1189140名
◆平成15年中の全国の交通事故発生状況 (平成16年1月/警察庁発表資料より)
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人数(件数) |
対前年増減数 |
対前年増減比 |
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死者数 |
7,702人 |
−624人 |
−7.5% |
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負傷者数 |
118万1,431人 |
+13,576人 |
+1.2% |
* 16年の死者数は、7000人と予想している。