ユーズあずみ野 経営コンサルタント・経営指導・社員研修&安岡正篤・安岡正明・安岡正泰・財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館の頁  


「三島由紀夫の
2.26事件」
を読んだ。

三島由紀夫は陽明学を勉強していた「陽明学徒」であるとの、勘違いをしていた理由は、この本にもあるとおり、
昭和天皇と北一輝との関係は、安岡正篤先生にも関わっていたと言うように考えたからである。
なぜなら、私の拙書「安岡正篤の生涯」のp27には、1921年(大正10年)に安岡正篤先生の結婚式が行われたが、その年に
「北一輝」と初めてあっている。北一輝はすぐに、満州旅行中の「大川周明」を電報で呼び寄せ、安岡先生に紹介しという、
一文がある。
また、安岡先生もこの年、政府や軍部の中国感を危ぶんで、「支那思想及び人物講話」を刊行した。
北一輝とは、親交を続けていたのではないかと思い、早合点して、陽明学徒として、掲載してしまったのだ。
でも、安岡先生はこの辺から、日本の国の行方について、強い、危惧が増幅していったのではないかと思う。

作者は、松本健一(文春文庫)という方で、1946年生まれ・東京大学経済学部卒、法政大学大学院終了だった。天皇陛下と三島由紀夫との関係が書かれており、それは、「葉隠れ」に表現されるという。爾来、葉隠れとは、通常「武士道というは、即ち、死ぬことと見つけたり」という言葉が、有名だが、この中に日本唯一の「恋愛論」が書かれているそうだ。「恋愛論」の中の「恋」極致が同様に書かれているということを初めて知った。恋の至極は「忍恋」であるとか書れているらしい。中略 「唯、思い死に極わむるが至極の恋なり。」
これは「北一輝」の恋愛哲学云々に続いていくのであるが、とても私には、歯が立たない内容であるが、一応、読んだ。

三島由紀夫の死因は、私は陽明学を勉強し、その結果、そのイデオロギーで自殺したと思っていたが、この本を読む限り、そのようなことが、原因ではなかったかもしれない。

だから、このコラムに載せてしまうのは、ちょっと筋違いだったかもしれない。

第一刷発行日は、平成171120日で、今から、五年前のことである。私は、いつもの癖で、読みたい本が目に留まると、すぐ買っておく癖がある。このhpに載せて、時間が経過したのだが、三島由紀夫は対天皇陛下と精神的には、只ならぬある意味の恋愛感情があったかと推量した。「唯、思い死に極わむるが至極の恋なり。」これが、三島由紀夫の最後の行動だったようだ。天皇は、三島事件の翌26年にみずから、三島のことを口に出したらしい。天皇は、三島事件のことを非常に気にかけていたらしい。

さて、どうして、私が陽明学を学んでいたと思ってしまったか。それは、安岡正篤先生の交友関係に「北一輝」とも親交があったように私が捉えていたので、敢えて、乗せた次第である。このコラムを読んだ方で、「葉隠れ」をもう一度読むことをお勧めしたい。

わたしも心から読みたいと思っている。