経営・企業相談・経営サポート・研修・資金繰り・厚生省登録講師・安岡正篤・安岡正明・安岡正泰・財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館・終戦詔勅・平成の元号
| 財団法人 郷学研修所 荒井 桂 所 長 安岡人間学を語る。 住所 埼玉県比企郡嵐山町菅谷671 〒355-0221 :会員随時受付 会員特典あります。「季刊 郷学」の購読希望者および会員受付は下記へご連絡ください。 0493-62-3375 fax0493-62-3366 田中事務局長宛 |
|---|
| ここは、戦前、安岡正篤先生が創立した金鶏学院日本農士学校、戦後は、日本農学校・埼玉県立興農研修所と改称して、昭和6年以来、地方人材を育成してきた所であります。 古くは、鎌倉武士亀鑑と謳われた「畠山重忠公」ゆかりの場所であり、歴史と伝統が、培われた土地柄でもあります。総面積 約5500u域内は、下記のような施設を要しております。 ここでは、常に、研修会・月例講座(年6回)・学習会・講演会・出版・図書館・記念館および研修会館などがあり、あらゆる方々にご利用いただいて下ります。設立主旨は安岡教学を基調とした、郷学振興に努めるとともに、伝統を継承している特別な勉強をして行く団体です。 |
![]() ![]() |
![]() |
| 右上へ |
![]() |
![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
| 社稷祭 受付 | 記念館への道 | 記念館の中の扁額 | 同行の士と |
平成15年7月19日
15年5月31日
その後、郷学研修所の毎月発行の雑誌に「故安岡正明氏を偲んで」という、追悼文を掲載したいとのことで、編集長から、依頼がありました。
これもご縁であるということから、早速、追悼文を書き上げ、ネットで送付したところ、49日過ぎてからの雑誌に乗せることになりました。従って、この頁にも7月1日以降に発表いたします。
でも、いまでも惜しい人がなくなったと思います。残念です。
なお、安岡正明先生の追悼文は安岡正明先生の世界をご覧ください。
15年3月29日
安岡正明様がご逝去された。余りにも急なことで、3/25 東京の自宅まで、
早速駆けつけた。よい、お顔であつた。
葬儀は、3/28 高野山東京別院で、しめやかに行われた。供花・弔電の中には、
「塩爺」大臣のお名前もあった。私の会だけ、やはり、供花・弔電を捧げた。
その中で、弔辞を3人の方が拝読したが、3人とも安岡正明様の著書「われはなんぴとぞ」
の含蓄深い、言葉の数々を残されていると功績を称えられておりました。
わたくしごとですが、この本のあとがきには、私のことを信頼している旨のことを
数行にわたって、述べてあり、嬉しく思いました。
どうして高野山で行われたかというと、安岡正篤先生が、高野山で葬儀を行ったからであり、
親子二代にわたって、葬儀が行われたことになる。もっといえば、安岡正篤先生は、養子で
安岡を名乗っていたが、旧姓、堀田姓であり、実兄が、高野山の最高峰の
管長だったことから、このご縁は繋がっているのです。
わたしとしては、モット長く生きていただいて、哲学を授与してもらいたかった。
という気持ちでいっぱいです。
日ごろ教えて頂いていた言葉をここにご披露します。
「逝くものは、かくのごときか、昼夜を舎(お)かず」
「とらわれず、追い掛け回せ」
「肩から、力を抜いて、行動して・・・・」
|
埼玉県比企郡嵐山町には、安岡正篤記念館があります。この記念館を 一度見ればこの先生がどのような方であったかが理解できます。 この先生のご長男は、東大を卒業して、大蔵省に入省し、その後税務大学校長、さらには長野銀行の初代頭取となられております。 わたくしは、 安岡正篤先生とは、お会いしたことはありませんし、直接知りませんが、この息子さんの安岡正明先生の直弟子なのです。
|
平成13.11.8
社稷祭のこと
|
平成13年11月23日は、埼玉県比企郡嵐山町にて、 安岡正篤先生のお祭りがあります。そのお祭りを社稷祭といいます。 社稷祭とは、今年もまた、農作物が収穫ができたという趣旨のもので そのお祭りと先生を偲ぶお祭りであります。 この日は、嵐山町のボランティアが沢山、出席してくださり、昼食の おにぎりとおいしい、豚汁が振舞ってくれます。どうぞ、お出かけください。 高速から、下りればまもなく到着します。 |